夕げ

こんにちは

9月

そういえばと思って本を読みだした。紙に滲みた文字から夏の寂しさや風のぬるさや空の移ろいが肌身に感じられた。太宰治を読みながら、季節を感じる機会が減ったことにはたと気が付いて、そんな生活がなんなんだろうと悲しくなった。

占い好きの友達と電話していたら、私の下半期は絶好調なんだよと弾んだ声で教えてくれた。聞いたらわたしと星座が一緒だったから、どれどれと思って教えられたウェブサイトを見た。2021年の上半期はこれまでのあなたとは違うやり方でがんばってきたからつらかったと思います、下半期でそれが報われていい方向に物事が進みます、というようなこと書いてあった。なるほど、環境も良い変化が生じて仕事運も上向くらしい。昨年の同じころ、就職活動がしんどかった時期に毎週励ましを求めて週間占いを心待ちにしていた占い師の占いだった。結果に一喜一憂していた昨年ほど自分に大きな影響はなく、まあわたし頑張ってますし環境変えようとしていますし…と現状を肯定されて元気がもらえた程度だった。占いに「うまくいく」って言われたら勇気が湧いて少し大胆に行動できたりするから結局自分のお陰なんじゃないの~?とか思ってさえいる。知らない間にわたしはリアリスティックな考え方をするようになった。

いま遠藤周作の「深い河」を読んでいる。まだほんの冒頭。大学に入学して、田舎者の自分を変えたいと自暴自棄的に性に奔放になった女子学生美津子が、敬虔な神学生である大津を誘惑する場面があった。大津が通う教会で、美津子はキリスト像に「神さま、あの人をあなたから奪ってみましょうか」とつぶやく。宣言を実行に移して大津に信仰を捨てるよう詰め寄る美津子に、大津は「ぼくが神を棄てようとしても…神がぼくを棄てないのです」とうめく。

自分の信じるものを神様と仮定するなら、わたしはたくさん神様を抱いて生きている。神様は喋らないほうがいい。こちらが生きやすくなるために上手に神様を信じて、祈って、天啓をもらっていく。そんなふうに思っている。ただ、大津の信じる神のように、わたしが信じる神は、わたしが神を棄ててもなお、わたしを?自問して、自問したまま。この一文にわたしは目頭が熱くなるほどの衝撃があって、神様と人間の関係、それを繋ぐ信仰って行為についてまた興味深く思って、「愛」とか鼻白むようなことについて思いめぐらせたりしたのでした。