夕げ

こんにちは

2020を

とんでもなかった2020年は、結構味気なく、友達の家でテレビのアイドルといっしょにカウントダウンしながら幕を閉じた。何も終わってないけど、やっと呪いが終わったんだと天を仰ぐような気持ちが、やっぱりどこかにある。2020年を思い返してなによりもはじめに思い浮かぶのは、部屋で見た夕焼け。思い浮かぶというより、わたしの2020の総てだった。象徴だ。緊急事態宣言が出されて部屋にいるあいだ、わたしは就活の最中だった。楽しみにしていたライブや帰省の予定はことごとく中止になり、友人にも会えないのに、エントリーシートの提出期限だけは必ずやってくる。やりたくない予定は中止にならないのに楽しみな予定だけなくなっていく状況に、どうしようもなく打ちのめされていた。耳障りのいい言葉を並べただけの自己PRと、わたしらしさが全く感じられない証明写真を毎日よく知らん会社に送る。こんなもんでわたしの何がわかると唾を吐きながらも、誠に残念ではありますが、から始まる苦笑が透けるようなメールをもらうと自分の低能力がまたひとつ証明されたようで落ち込んだ。それが、毎日ワンルームの部屋で完結した。そもそも人と話す機会もないのに、パソコンを通して会う知らん人に何を話せっていうんだろうか。つまり、5月のわたしは、出ることが許されない部屋の外で着実に進んでいる世界のルールに従って、望まぬ方法で世界にコミットしようとして、狭い部屋で疲弊していく自分を慰めることに必死になっていた。そのとき、毎日楽しみにしていたのが日が沈むのを見ることだった。朝起きて晴れていると、それだけで夕暮れ時が待ち遠しくて今日もなんとか耐えようと思えた。西向きの部屋に日が入らなくなってきたら、パソコンを閉じてコーヒーを淹れた。そして、窓枠から外れて見えなくなる太陽と、夜に部屋とわたしが沈んでいくのを、毎日椅子に座って眺めていた。毎日。空が赤から白や黄色にくすみ、緞帳が降りるように藍色が垂れ込めて、水平線が一色になった頃に窓を閉めた。金星も静かにいる。初夏というにもまだ遠い季節、日が沈みきる頃には指先が冷たくなっていた。わたしは、その時間によって、5月とそれ以降を生きていた。明日もこれを見ようと、寝る前に思った。わたしはあのとき生かされていた。毎日違う空を見ながら、わたしは泣き、茫然とし、自分について考え、慰め、溜息をついた。涙は目に映る色のきれいさに流れたものでもあり、自分のふがいなさや状況の苦しさに流れたものでもあった。長年、そういえば自分が生きている実感を得たことがないなと思っていたけど、夕暮れを生きがいにしていた5月、わたしは何より生きていることを実感していた。
2020は、わたしを臆病にさせた。価値観が似ている思っていた友人と当然ながら全ての考え方が同じわけではないということ。わたしがわたしや誰かの身を守るための行動を理解してくれるのだろうかという不安と疑心。ウイルスも他人の内心も目に見えないものに怯え続けた1年だった。
でも、辛い思い出と一緒にきれいな夕焼けが思い起こされる年もなかなかいい。いまも思い出すと喉で風船が膨らむような息苦しさを覚える憂鬱が、燃えるような赤が静寂の青に混ざり合う空と一緒に記憶されているのはなかなか人生らしいと思って気に入っている。
12月31日が1月1日になることが始まりも終わりも意味しないことは、今年のわたしは知っている。でも、2020を生き延びたことが、きっと2021を生き延びる糧になることも知っている。2021はどんな思い出ができるだろうか。2020の話を、友達と会って話したい。

f:id:kinmokuseinohoshi:20210101063856j:image