夕げ

こんにちは

ある

先週の週末が過ぎて東京で始まった一週間は、まるで生気が抜けたみたいな身体で生活した。なんにもしたくないまま日曜日の夜になったんだけど、それでもちょっとずつ学校の予習をしたり課題を提出したり、やらなきゃいけない日常のさまざまに向き合ってちゃんとできてる自分がさびしくもある。う~ん、できごとは確実に過去のことになっていて、無情だね。わたしが、薄情なのかもしれないね。もしかして

さっき部屋を片付けていて、会場で配られる腕のぴかぴかを数えたらちょうど10個あった。ひとつだけ、すこし振ったら光った。わたしが初めて腕にぴかぴかをつけたのは2年前の9月16日で、そこから9回も見たんだなあ~。すごい数だ。上京するまでわたし、自分が腕をぴかぴかさせて明滅のひとつになれるなんて本当文字通り、これっぽっちも思っていなかった。それから、文字で繋がった友達に会えるとも思っていなかった。たった2年でわたしはうんと、思いもよらないしあわせを知った。思い返すと全部、ひりひりするくらいのやつ。でも、いま抱えてるのはずっとやばいやつだ。会場まで行く道のりのどんより垂れこめていた雨雲とか、友達が食べていたピザの甘いにおい、お城の砂利を踏んづけた音とか、そんなをふとした時に思い出してはうっとなる。会場のなかで見たことはもう、ダメ。ほんとにいたこととか、歩いてたこと、振動、呼吸とか、音が鳴るとかそういうの以前のこと思い出すだけでため息が出る。甘い味じゃなくて酸っぱいしょっぱい苦いとか、心地よくない味のやつ。それより核心に迫る見たこと聴いたことの話はあまり、言及しないでおく。泣くから。

感じたことのない寂寥感にドン引きしている。ドン引きしたまま一週間が過ぎた。わたし、この秋の3日間をたのしみにしすぎていたんだと思う。もちろんそれは素敵なことなんだけど、こないだの週末が待ち構えていた予想のたのしさをはるかに上回ってきちゃったから、淡色の日常に戻るのがくるしいんだきっと。それから、優しくされすぎたね。孤独に泣いた夜に、あしたを恐れた夜に聴いた歌を歌われて、声の持ち主に「きっとこれからどうしようもなく辛いときがあって、そんなとき物理的に傍にいてあげたいけど、それができないから、でもそんなとき、歌は傍にいる」なんて言われたら、なあ?そんな愛の伝え方ありかよ?(愛っていうのは広義に、まごころの意味を強く持つやつのつもりで言っている)

声が「明日も今日の続きを生きてる」って言ってたその言葉だけポケットにいれて、抜け殻のまま明日もやる…。抜け殻は今日、インドカレー屋さんでチーズナンを食べてとってもしあわせな気持ちになりました。たぶんお友達とバスで発つまえにおしゃべりしたとき以来のふくよかな気持ちでした。

空っぽであの日を恋い焦がれたまま後ろ向きに歩くのしんどいんだけど、しんどいままのほうが良い気がする。しんどいけど…。11月にお友達と音を聴くまで、わたしはあの日のゾンビのままなのかな。それも良い気がする。しんどいけど…。

わたしが言い得ぬせつなさに溺れているときも日常が全自動なのむかつくね。登場人物含め。文字の世界は同じ気持ちの人がいて救われちゃう。

ご自愛して、寝ようね。