夕げ

こんにちは

あるゆえ

3年の春学期の演習は、創作のクラスを選択した。詩人の先生のもとで、詩やエッセイや小説を書いて、20人弱の生徒が互いに読んでは意見を出し合う。原稿用紙四枚程度の短編小説の課題を出されたとき、結構な人が物語のオチとして登場人物が死ぬストーリーを描いていてびっくりした。何人目かの作品のなかで、また人が死んで「オチ」たあと、意見交換の場でいつも活発に発言をする女の子が「死んだ人のことを忘れるのって、罪なんですかねえ」と言った。演劇部の女の子。いつも銀縁の丸眼鏡をかけていて、肌がとてもきれいな子。みんなうーんと考え込んだ。演劇部の子の前に発言した女の子が「時間の経過とともに死んだ人のことは忘れるものだから」というような発言をしたのがきっかけだった。その子も眼鏡をかけている。

何人かがおもむろに口を開いて、忘れてしまうのはしようがないんじゃないか、というようなことを言った。「たしかに忘れてしまうのは寂しいことだけど、目の前にいない人のことをいつまでも覚えているのは不可能だと思います」。放送部の子がよく通る声で言った。

わたしはおずおずと手を挙げて、いいですか、と言った。

わたしの実家は田舎の本家で、先祖10人近くの遺影が茶の間の長押に並べて飾られている。おじいちゃんのおじいちゃん・おばあちゃんの、鉛筆で描かれた遺影が一番古いもの。会ったことはないけど、顔と名前は知っている「死んだ」親戚が、わたしにはたくさんいる。本家は仏壇も大きい。仏壇の上には立派な神棚(なんと天井から神社にあるガラガラ鳴らすやつもぶら下がっている。大きさはずっと小さいけど。わたしの家以外で見たことはない)もあって、仏壇と同様毎日ご飯を供える。仏壇には、おじいちゃん、おばあちゃん、2年前に「仲間入り」したおばちゃんそれぞれがよく飲んでいた緑茶、砂糖湯、烏龍茶も供える。お菓子と果物もいっぱい。そこに線香を立てて、チーンと鳴らして、手を合わせてから朝ご飯を食べる。ずっと小さいころからそうだ。小さいころは朝ご飯の前によく「なむなむしたのか?」と両親に確認されていた。手を合わせたらもちろん、話しかける。おはようございます、今日は雪が降りました。寒くなりそうです。今日は漢字テストがあります。それでは、今日も一日よろしくお願いします。

つまり、わたしは、死んだからといって忘れたりということはほとんど、ないですね。

そう言うと、教室は聞こえるか聞こえないか程度の「へえ」とか「ほお」とかいう声がさざめいた。感嘆なのか、驚きなのか、あるいは揶揄なのか。

詩人の先生は、とても興味深そうにうんうんと頷いてから、「それは特殊な例ですね」と心底おもしろい、という感じで言った。

わたしは、死んだら付き合いを更新していかない生活をしているみんなが「一般」であることにびっくりした。

わたしは、母方のおじいちゃんが死んだとき、棺桶の釘を打っていない。大泣きして拒否した。それで、弔辞のときに「いつでも帰ってきていいから、そのときは怖くない方法にしてね」と言った。ちょうど4年前。まだ帰ってこないけど、いつでも来ていいよーと思っている。おばちゃんにも、棺桶にお花をいれるときにそうやってささやいた。

だから、いつも近くにいるような気がしている。怖くないような方法でって頼んだから姿が見えないだけで、近くにいるのだ。うちらは生きてる世界が違うだけで、家族には変わりない。そうやって思えたら、「死」が絶対的な別れを意味しなくなった。

日常に色濃く残るあなたの不在は、いつかまたそっちで会えるまで消えるものではないだろうけれど、それまで味わっておくよーと思う。また会う日まで。

さよならだけが人生だ。