夕げ

こんにちは

ただ白

長雨が脳みそまで溶かしてしまうような7月だった。

今年はずいぶん梅雨が長引いて、まだ陰気な湿度が街を覆っている。

春が過ぎて夏が本腰を入れようとするのを、部屋の椅子に腰かけてぼっと眺めている。退屈なテレビをつけっぱなしに見るでもなく見ているような無力感もあるし、プールサイドで水に潜る同級生をうらやんでみているような気持ちにもなる(わたしは水泳が得意だった)。わたしが見えない敵におびえて淡白な春を過ごしても、楽しみにしていたお祭りごとがすべて白紙になっても、やっぱり今年も夏は来そうだ。暦が変わった瞬間から薄情なくらいに晴れマークが並ぶ週間予報に、何味かわからない涙が出そうになった。

ウイルスはちゃんと平等で、学生も、サラリーマンも、誉れ高い人気俳優も、遠い外国の大統領も、全員の脅威だ。世界中が未知のウイルスにおびえている。わたしが好きな誰だって同じ敵にこれまでと違う日常を強いられていると思うと、ため息ひとつでやり過ごせるときもある。でも7回に1回は舌打ちして壁でもなんでも泣きわめきながら殴ってやりたい気持ちになる。わたしはこの夏、外で知らない人たちと音楽を聴きたかったし、知らない国へ行きたかったし、おばあちゃんのラーメンが食べたかったのだ。年を取って歩くのがゆっくりになった実家の犬とゆっくり散歩をしたかった。大学4年の22歳の夏に、わたしはしたかったのだ。これは実際、こどもの屁理屈かもしれない。ずっとできないわけじゃないんだから、となだめられたら、ため息ひとつで冷静を保てるときのわたしはすみません、取り乱して、と謝るかもしれない。でも毎日夕方に昨日より多い感染者が発表され、あらゆる集まりごとに「感染状況によっては」の但し書きが付され、今日以降の手帳の予定が一切未定の状況に、わたしはほとんどパニック状態だ。毎日。小学校も中学校も高校も会社員も行くべき場所へ通っているのに、大学生はずっと自宅で、秋からも自宅で勉強することが決定している。わたしは大学生活の最後の年を、学び舎で学ぶことなく終える。決まっているのはそれだけだ。それ以外の一切は未定。秋は来るだろうか。冬は?春は?手帳の真っ白な8月のページに明日読む本の名前でも書いていこうか。それも虚しくてわたしは泣くだろうか。何もわからない。