記し
戦争に行った老人が、自身の戦争体験を記者に話し切った途端に呆けてしまって、何もわからなくなったという話を聞いたことがある。
思い出を言葉にして書き連ねてしまうと、絶対に忘れまいとできごとを反芻しては色を保っていた脳みその機能がが役目を終えたと安心して、弛緩してしまうのかもしれない。
わたしも、自分の中にあった原風景を文字にして描き出すたびに、いくばくかの不安がよぎる。現に、頭の中の記憶が薄らいだ気がするものもある。
あの時の気温、匂い、音、気持ち。冷たい窓のサンと、傾いた街灯の灯り。点々模様の天井。時折の家鳴り。犬の遠吠え。
こないだ、お父さんが生まれたときからずっと隣にあった、古くて大きい空き家が取り壊された。お母さんから送られてきた写真は、がらんどうの白い砂場になっていて、黒くて傾いた、時が止まった屋敷の姿はどこにもなかった。そこに屋敷があったことも、わからなくなっていた。空間があるだけだった。
わたしは夜に自分の部屋から見るお屋敷が好きだったんだ。錆びて真っ黒の屋敷は、夜に溶け合って輪郭をなくすから。
平たい屋根に腰掛けるようにして月が浮かんでいたことや、剥がれた屋根の穴から伸びた木が星に手を伸ばしていたこと。
頭の中から鮮明なその風景が消えることは怖いけど、文字にした瞬間に蘇る風景は、そのときその瞬間にまさしく迫るものである。
この葛藤は、忘れたくないことが増えるたび訪れるんだろう。