夕げ

こんにちは

後部座席

家族で車に乗って遠出するとき、後部座席に座るのが好きだった。うたた寝から目を覚ますと、両親は運転席と助手席に肩を並べて何か話している。妹はわたしの隣でまだ寝ている。渋滞情報を伝えるラジオが流れていたり、両親が若いときに流行った洋楽が流れていたりした。お父さんが運転していると、お母さんがクッキーの包装を剥がして食べさせてあげたりする。わたしが不意にあとどれくらい?と声をかけると、ルームミラー越しに、起きたんか、おしっこ大丈夫か、と言う。あと10キロも走んねで着くぞ。

存分に遊んだ帰り道、どんどん日が沈む後部座席もいい。薄暗くなった知らない街の街灯がどんどん後ろに流れていく。ときどきハイビームのまますれ違う車にお父さんが文句を言う。
わたしはトンネルが格別に好きだった。等間隔のオレンジ色のライトの下をすり抜けると、車内がしましまに明滅した。不安を煽るような騒音。入りの悪いラジオ。すぐ前に座るお父さんとお母さんの声も聞こえづらくて、2人の間に身を乗り出しておしゃべりした。
トンネルに入って目が醒めることもあった。まどろみの中でトンネルを疾走すると、ごおおーという音とそれにかき消された音たちと揺れが相まって、胎児になったような気分でいる。
中学生のとき道徳の教科書に書いてあった「後部座席で眠っているような安心感」という比喩が、わたしが持っている言葉のなかでは最上の安心を示すものとして仕舞われている。なんで後部座席ってあんなに安心するんだろう。後部座席でいつまでもまどろんでいたいからというのも、わたしが大人になりたくない理由のひとつにある。

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