夕げ

こんにちは

こんばんは

おい、あんた。ちょっと煙草一本くれねえか。わるいね。そう、火も。ありがとう。こんな遅くにこんなとこで、何してんだ? 失恋か? なんだよ、おもしろくねえな。いま女は? おいおいそんなに怒るなよ。上見てみろ、今日はいい月だなあ。一杯やりたくなるな、はは。なあ、蝉が鳴かなくなってずいぶん経つよなあ。蝉の最後の一匹って、ひとりで鳴いているときどんな気分なんだろうな。あれって女さがして鳴いてんだろ。ひとりで夏の終わりに鳴いてんだぜ。それで、交尾できないまま死ぬの。やだなあー、つらいよ。虚しくておれ、ゾンビになってさまよっちゃうね。いや、冬もだいじょうぶさ、ゾンビなんだから。ゾンビが寒さに弱いなんて聞いたことあるか? 蝉もゾンビになったら同じだよ。なあ、なんか、冬に蝉が鳴いてたら体温あがりそうだよな。ほら、あるだろ、犬がさ、鐘が鳴れば餌を食べられるって覚えると鐘が鳴るだけでよだれがでちゃう、そう。パブロフの犬。蝉の声聞いたら暑くて暑くて、2月に海を泳げちゃったりしてな。はは。おまえ冬好き? へえ、じゃあ冬生まれ? そうか。じゃあ蝉のゾンビが鳴いたら、おまえの誕生日に海水浴に行こうぜ。ああ、ええと、おれは選べねえなあー。春は匂いがいいし、夏は蛙が鳴くし、秋はさびしくて、冬は鼻を刺してくる空気がさ、なんだよ。馬鹿、さびしいのがいいんだろ。夏はさ、どんどん日差しが増して半袖になって、蝉は騒ぐし、花火はあるし、浮かれぽんちでさ。それが、あっという間にさ、ほんとにいつも、駆けていくよな。気づくと夕方のサイレンが鳴るころには真っ暗になってんだもんな。ついこないだまで、夜は7時になっても空がむらさきだったのにな。パジャマも気づいたら長袖になってて、なあ。さびしくなる。あの、みんなで輪になって線香花火に火つけてさ、さいごまで残ったひとりの、不規則にはじける火を固唾のんでじいっと見つめていて、それがじゅっとおわったとき。みんな暗やみのなかで、静かなんだよ。熱帯夜にみんなの息だけ。その胸に迫る沈黙と、秋のさびしさは似てるんだよな。今日も、ずっとさびしくて、いいな。

 あれ、ところでおまえ、こんなとこで何してんだっけ? 失恋か? はは、そう怒るなよ。ここ、結構足場が悪いだろ。下に降りて地べたで話さねえ? ビルから見る月もでかくてきれいだけど、今日は下からでもよく見えるさ。